『生々流転』 [enjoy!]
言わずとしれた、横山大観。
先日、都内のシンポに参加しようと竹橋に降りたら、開催時刻まで一時間ちょっとの間があった。お昼でも食べながら時間をつぶそうか・・・、とうろうろしていたら、
東京国立近代美術館 横山大観『生々流転』、無料公開
との表示が!・・・日本画の巨匠の名前に惹かれたのではなく、「無料」の文字に惹かれてなんとなく入場。
実際、詳しいわけではないのです。でも、見るのは好き。知識はないけれど、ぼんやりと、作品を見て回るのは好きなのです。見て回るその「時間」が好きなのかもしれない。日常とは隔絶された、異次元の世界。だから、お目当ての作品を見ようと並んで入ったりはしないけれども、機会があると美術館とか博物館とかふらりと寄ります。
というわけで、空き時間を利用して、教科書にも必ず載っている名作(重要文化財なんですって)、『生々流転』を鑑賞。
第一印象、へえ〜、思ったより小さい・・・。ガラスケースの中におさめられた絵は、巻物みたいに広げられていて、縦はずいぶんと小さい。でも横はなんと、40メートル!全部を見るためには40メートル、てくてく歩いていかねばならない。
『生々流転』は水の一生、だそうだ。生地にぼんやりと、水蒸気が浮かび上がる。次第に蒸気が濃く、濃密になっていく。雲か霧か、というほどの蒸気の向こうに、山肌と木々がうっすらと透けてくる。
寒々しくも密度の濃い、日本の森。十分に水を含んでしっとりとした、深緑の匂いが漂ってくるようだ。水蒸気は木々の葉の先に凝集し、一滴一滴したたり落ちて、一本の細い筋をつくる。
細い水脈は、岩肌をつたって他の水脈と出会い膨らんで、徐々に力強さを増してくる。岩山のところどころに 鹿や猿がたたずみ、流れに棹さす人の姿も現れては消える。流れはすでに、轟々と音をたて、飛沫をあげながら画布の中心を圧し流れる。
ひんやりとした飛沫が頬を撫で、轟く水音が耳をうつ。 今思えばあれは、エアコンの風音だったのだろう、しかし私には、足下から震動とともに水流のエネルギーを感じていた。
もうすでに、流れは画布からはみでるほどにその存在感を増している。飛沫はもうもうと煙り、視界はだんだんと曖昧になる。飛沫の激しさに目をあけていられなくなるその時、彼方に水龍が天に昇っていく姿を垣間見る。幻か、と目をしばたいたその瞬間には、すでに龍の姿はなく、あるのは光を受けてぼんやりと輝く蒸気と、その向こうの闇の深淵だけ。
最後は、闇と光が溶け合いひとつになる。完全な静寂。
・・・正直、水墨画の良さなんて全然わからなかった。白黒で地味だし、じじくさ〜、としか思っていなかったのだが・・・
圧倒された。引きずり込まれた。水の一生、と解説にはあったが、あれは存在と非存在のドラマなのだと思った。
水墨画のすごいところは、存在(水)を描くために、闇や影といった非存在を描くところだ。
大観はこの作品で、水を一度も「描いていない」。水の部分は、いわずもがなだが、余白なのだ。描かないことによって描く。そんなことは、光を描くために絵具をひたすらに重ねるしか知らない西洋画には到底できない。(たぶん。)
言葉にならないものを言葉にすることをライフワークと決めた私の生き方にも通じると思った。これからは勝手に、大観さんを師匠と仰ごう(笑)。
空き時間にふらりと入っただけだったが、この日一番の収穫になった。こういう出会いがあるのは本当に嬉しい。
私、namakoさんの文章とともに、40m歩かせていただきました。
40m歩き終わって、ふぅ~~と、息をはきました。
すごいですね。
是非本物をみたいものです。
by tanico (2009-02-16 10:38)
>水墨画のすごいところは、存在(水)を描くために、闇や影といった非存在を
>描くところだ。
わたしもここ、気になります!
日本文化のおもしろさですよね。
私も絵を見に行きたくなりました。
by 紅緒 (2009-02-18 02:19)
気分転換になりましたね~!
たまに美術館に行きたくなります(><)
by puppe (2009-02-18 02:43)